木村春雄 私は、昭和十六年大東亜戦争が勃発した年にこの世に誕生いたしましたが、父は、その年戦争に召集され、死の島といわれた激戦の地ガダルカナル島で二年後に戦死したのであります。 私が幼いながらに思った苦い記憶が思い出されます。終戦後、戦地から復員した父親(叔父)から大変可愛がられ戦争がなくなった幸せを感じておりました。 しかし、私が小学校四年生の時、実の父親は戦死し、今の父親は母と再婚した叔父であることを、祖父から初めて教えられたのです。 当時の日本ではこの様なことは珍しくなかったと聞いておりますが、戦争による悲惨な体験をした一人として、これから二度とこのような悲惨な戦争が、起こらないよう語りついて行きたいと考えております。 日本は、第二次大戦による甚大な犠牲と軍国主義の時代への反省を踏まえ、民主主義国家として再出発するため平和主義を掲げ、二度と戦争を繰り返さないという意思表明をしました。 平和主義の理念は、戦争の放棄を謳った憲法九条に凝縮されているものと思う。日本は戦後、その九条とともに、復興と繁栄の道を歩んできたのです。 ところが、理想主義と激変する国際社会の現実との乖離がしだいにおおきくなってきて、政府は国内の反対を押し切って特別措置法で自衛隊を派遣するようになり、そのたび政府は憲法解釈を拡大しております。平和主義の理念は崩れております。 新憲法草案が作成され、改憲議論が動き出しているが、父親の想いを胸に、憲法九条が改悪されないよう見守って行きたい。
(みやぎ憲法九条の会呼びかけ人・農協中央会会長) |
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